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OK COMPUTER 有無をいわせない完璧さは時に仇となる

OK Computer本作『OK COMPUTER』は言うまでもなく90年代のロック・ミュージックが成し得たひとつの“到達点”である。
これはレディオヘッドというバンドの好き嫌いというレヴェル以前の問題であり、音楽を生業とするものなら否応なく認めなくてはならない事実である。
とにかくひとつの音の成り立ちから曲の構成、音の空間を自在に操る~時にサウンドコラージュがあり前作にもみられるダヴやトリップホップといったエクスペリメンタルな音作り~は聴くものを圧倒的に支配する。
言い換えれば有無を言わせない“非の打ち所がない”完璧さは美しくはあるが、時に息が詰まりそうな閉塞感をもたらす。

これはある一定の感情で聴くことで非常にプラスの作用があるのだけど、常時聴けるかというと実はそういう作品ではない。(実はここがKID Aと決定的に違う)

僕がロックバンドのアルバムを聴く上で最も好きなところのひとつには次回作への期待感のような、いわば橋渡しに似た曲を見出すことでこのバンドが次にどんな構図を提示してくれるのかな!? というある種の預言者めいた聴き方をすることがある。
そうする事で自身の安定、というか精神的なバランスを維持することが可能なんである。(俺って変だな!?) 

確かに冒頭の『AIRBAG』の歪んだギターから紡ぎだされるイントロから3部構成の『PARANOID ANDROID』への件、英国ではキリストの詩と形容される『LET DOWN』、ひたすらに癒される『NO SURPRISES』等の名曲は今聴いても素晴しい。
しかし、本作それらのクオリティの高い楽曲が矢継ぎ早に繰り出される過程で僕は打ちのめされるのだ、確実に。
其処にはなんの光明も見出すことが出来ない。

そして自身を見出す前にこの作品は完結してしまう、なんの余地もなく。
後にはただ、途方にくれる僕が在る。その様はまさに『SUBTERRANEAN HOMESIC ALIEN』で『EXIT MUSIC』でしかないのだ…。
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