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  1. カウベル

    カウベル

    2010-07-14 (Wed) 03:50

    リーは息をしていない
    はやく吐き出さないと沈んでしまう

    でも待ち続けます

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「The La's」天才の残した“音の残骸”

ラーズ+82005年の夏に奇跡が起きた。The La'sが復活したのだ。
実に15年ぶりの再結成。その真相は未だ定かではない。
無数にある可能性として(再結成の理由)の背景はこんな感じ。ザ・ラーズのフロントマンであるLee Mavers(リー・メイヴァース)には現在4人(だったと思う)の子供がいる。単純に計算しても一番上の子(ここでは女の子と仮定して)は高校生となる。すると年頃の娘は父に(勿論リー)にこう語る。
「ねぇパパ、●●ちゃんトコでは通学用に●●●のバッグを使ってるの。私も欲しいわ」

すると、リーはこう答える。

「オーケー、シャロン。もうじきThere She Goesの印税が1万2千ポンド入る。それが手に入り次第買ってあげるよ」

「それじゃ、駄目。私は“今”欲しいの」

こんな愛娘のワガママに頭を悩ますリー。そこに旧知からの知らせが届く。無論、その男の名はジョン・パワー。

「久しぶりだね、リー。どうだい久しぶりにThe La'sの復活といこうじゃないか!? oasisの奴等や英国中の人間、遠い海を隔てた日本にも大勢君の復帰をもう何年も心待ちにしている人がいるよ」

これは普段のリーならば即座に断っただろう。しかし可愛い愛娘の笑顔を思うと胸が締め付けられそうになる。

「……オーケー、ジョン。でもセットリストは15年前と一緒だぜ」

こうして晴れてThe La'sは再結成を果たす。

………なんてことがある訳ないじゃないですか。これじゃあ何処にでもある一般の家庭の中で繰り広げられる非常にミニマムな実話でしかない。…そもそもシャロンて誰だよ!?


スイマセン。こんなふざけたコト書いてる場合じゃないっすね。話を元に戻します↓↓↓。


……アルバム「The La's」というものをひと言で表すならLee Maversが語った下記のセリフのとおりなんだと思う。

「クソッ、最低だ!! これは俺達が意図したもんじゃない。金属的で薄っぺらい音に作り変えられてしまったスクラップだ。買う価値なんか無い」

これを「The La's」しか聴いたことのないリスナーが見ると「一体、何を言ってるんだ。」と思うかもしれない。確かにこのセリフを初めて聴いた時の僕の反応がまさしくコレだったのだから。アルバム「The La's」を初めて聴いたときに感じた衝撃は“まさに10年に一枚の”という冠がついてもおかしくはないものだったのだから。

ギターポップという範疇で語られる場合においてSteve Lillywhiteがプロデュースした本盤は確かに悪くない。初期の英国ビートバンド(フー、ストーンズ、キンクス等)をお手本にしたギターの軽快なリフやカッティングは親しみやすく一度聴いたら耳について離れないし、アルバム最終曲を飾る『Looking Glass』の曲構成、特に後半パートの怒涛のジャムセッションはロックを愛聴するヤツなら必ず聴いとけ、と声を大にして言いたくなる。そして誰もがこれにやられたであろう流麗なイントロにギターのアルペジオが印象的な「There She Gose」は、リー独特のダミ声と相反するコーラスパートの美しすぎるファルセットの刹那、時空を越えた煌きに満ちた何ともいえない感動を味わうことが出来る。まさしく名盤。

ところが。この曲「There She Gose」の成功がリー・メイヴァースに悲劇(まあ、印税入るけどね)をもたらすことになる。本来、彼が意図していたものとは全く違う性質を持つ「There She Gose」が、やはり彼の目指す“永遠な音”とは真逆のギターポップのカテゴリーの中で“永遠の名曲”と約束されてしまうのだ。ザ・ラーズ=ギターポップという構図を描いたのは他ならぬプロデューサーのSteve Lillywhiteなのだけど、これが皮肉にも商業的に成功したが為に、リーが真に描きたかった音像は遥か彼方へと押しやられてしまう。そしてリーの “戯言”には誰も耳を傾けなくなっていく。次第に…。

それではリー・メイヴァースが描きたかった“永遠=その場の空気感をそのまま音に刻みこむ”とはどういうことだったのだろう?

The La'sは1stの完成に(実際は未完のままだけど敢えてこう言います)至るまでに実に7人(だったと思う)のプロデューサーとのセッションとテイク違いの無数のデモバージョンを録音している。「There She Gose」のプロデュースでお馴染みのBob Andrewsを筆頭にMike HedgesやらNicky CampbellにJohn Leckie他BBCセッション等など。それでもリーの偏執的なまでの音へのこだわりからなのかプロデューサーは皆降板、最終的にSteve Lillywhiteに全てを委ねたレーベルが勝手にリリースしてしまうのだけど。それはリーが下記の様に語ってることからも窺える。

「“There She Goes”はとても沢山のミックスが出てるけど、どれも俺には関係ないものばかりだった。あの歌のバージョンはどれも、誰かほかの人間のビジョンさ。俺のものじゃない。俺は今でも、あのアルバムはクソだと思ってる。あの中の曲よりいい出来のデモや海賊版が一杯ある。あれは俺らがやろうとしてたものじゃなかったんだよ」

…成る程。これら一連のセッションに共通するところは、どの曲にもサイケがかった音の厚みやグル-ヴ感やリーの言うところの“60年代の埃がつもった”作風になっていることは確かだ。試しに数あるセッションの中で特に僕が好きなJohn Leckieセッションのリストを挙げてみる。《John Leckie(ジョン・レッキー)はストーン・ローゼズの1stやレディオヘッドのベンズとかいい仕事を結構してるな…。》

01 There She Goes
02 Doledrum
03 Man I'm Only Human (version 1)
04 Man I'm Only Human (version 2)
05 Doledrum (version 1)
06 Feelin' (version 1)
07 I Can't Sleep
08 Feelin' (version 2)
09 Doledrum (version 2)
10 Come In Come Out

このリストを見ただけでもリーが同じ曲を何度も繰り返し演奏していたことが分かるでしょう? 徹底した“音へのこだわり”。初期のストーンズやキンクス的なガレージロックに何処かしらサイケがかった不思議な音色を醸し出している出色のテイク集。未聴の方は是非とも聴いてもらいたい。世界が変わるから…。これをボツにしてしまうリーという男は相当の頑固者ですよ。

因みに僕はとあるSNSにアルバム「The La's」に関して次のようなレビューを書いてみた。ちょっとカッコつけてるけど。

『ボ・ディドリーのジャングル・ビート。初期ザ・フーの珠玉のシングル群を彷彿させるリズムとコーラス。 キャプテン・ビーフハートのサイケに歪んだ知性。 そして、忘れてはならないビートルズに代表される英国ポップスの歌謡性。 それら全てを内包した一枚。ロックミュージックが在り続ける限り語り継がれるべき作品です。』

これは実は正確ではない(少なくとも1stの内容としては)。例えばボ・ディドリーのジャングル・ビートとはCome In Come Out(John Leckieセッション)やI Can't Sleep(BBCセッション)の様な曲のことを言ってるし、キャプテン・ビーフハートのサイケに歪んだといったところはMan I'm Only HumanやCallin' All(1987年のデモ音源)やらWho Knowsの様な曲を指して書いたのだ。例えば、たとえば…。(挙げだすとキリがないっす) 


これは別段、音源関連に限らず彼等のライヴを観た事のある方でもアルバム自体との“違和感”なるモノを感じた方は多いはず。実際、ライヴ後に1stが聴けなくなってしまったという方も少なからず耳にする。何故ならば、そこにはギターポップなどという“うすっぺらい”ものは何処にもなく、サイケデリック・ガレージ・フォーク・ブルースともでも言うべき“彼等の本来あるべき”姿を目にすることが出来るからだ。彼等の演奏を観るにつけ、ハイライトとなるはずの『There She Goes』よりも(まあ、実際盛り上がるけれど)、アルバムでは地味な印象しか残さない『I.O.U』や『Doledrum』といった曲のシンプルなビートの反復、『Liberty Ship』や『I Can't Sleep』、『Failure』といったガレージパンクな名曲の方が圧倒的に際立っている。そしてこれらの曲を公正に聴くことでリー・メイヴァースという男が実に細部に至るまで緻密に曲を練り上げているのかを理解できると思う。僕自身正直、彼の曲に駄作は一切ないと思う一人なのだけれど。少なくとも80 年代のセッションやデモの段階までは。……無論最後には『Looking Glass』で涙を流すのだけは変わらないけれどね。

と、まあこういった流れで書いてみるとアルバム「The La's」はやはり、リー・メイヴァースの言うところの“スクラップである”という言葉の意味が多少なりとも分かってもらえると思う。いや、思いたい。… 是非理解しておくれ。

ただ、僕達にはこれが単なるスクラップとして認識するにはいささか重要な問題がある。それは(今のところ)Lee Maversという天才が遺してしてくれた“公式の記録”がこれ一枚きりということ。この問題が解消されない限りアルバム「The La's」は輝きつづける。それは間違った輝きなのかもしれないが、確実に輝き続ける。そして僕らはリー・メイヴァースが【追い求めつづける音】の残骸を今日も受け入れ続けることになる。
それ自体が何なのか、確かなものは未だ無い。もしかしたら永遠に手に入らないものなのかもしれない。けれど彼が残してくれている数少ない珠玉の作品群を聴き込む事でおぼろげながら見えてくるものはある。それは何者にもかえ難い美しさで僕の(ひいてはリスナーの)心をうつ。

願わくば2ndをひっさげての再来日があらんことを…。
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  1. カウベル

    カウベル

    2010-07-14 (Wed) 03:50

    リーは息をしていない
    はやく吐き出さないと沈んでしまう

    でも待ち続けます

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